【神奈川県横須賀市特別養護老人ホームやまびこ荘|ケアハウスあっとホーム

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お看取りするということ

こんにちは。特養の職員です。

突然ですが、介護の終わりとは何でしょう。

それは『お看取りする事』です。

今回は特養の職員にしか書けない体験記を書いていこうと思います。

O様(女性 76歳 旦那様死別 娘様2人)
認知症。穏やかな性格で優しいお人柄。

認知症になると、以前とはまるで違う性格になってしまう方も多々いらっしゃいます。
寡黙な方が怒りっぽくなったり
気力を失ってしまったり
スケベになってしまったり
実に様々です。

諸説ありますが、その一説には我慢や理性で抑えていた部分が現れるとも言われております。

Oさんは認知症になり徐々に、ご飯の食べ方、トイレのやり方、洋服の脱ぎ方など分からなくなってはしまいましたが、
〝素敵な歌声〟〝大切な家族〟〝正義感〟
これらは無くしませんでした。
それは穏やかで優しいOさんの奥深くに根付いていたものだからだと思います。

レクの時間にカラオケをしている所に、次女様の面会があり『母は欧陽菲菲のラヴイズオーヴァーが好きでよく歌っていました』とうかがい、いざ曲を入れてみると、、、
優しいながらも張りがあり、深く綺麗なビブラートが掛かった素敵な歌声。
それからレク以外の時間でも私とOさんは歌を歌い過ごす時間が増えました。

家族が大好きなOさん。
ご家族の面会があったその日は、寂しさからか、立ち歩き、帰宅願望が現れる事もしばしばありました。
時には疲れるまで徘徊に付き添い、
時には納得するまで傾聴し、
やっとのこと落ち着きベッドに案内した数分後には、また同じことの繰り返し。

正直に言うとその時の気持ちとしては
『もう、いつ寝てくれるの?』
と、こちらが疲れてしまう事もありましたが、その都度根気よくお付き合いし、静かな夜を遅くに迎えることもありました。

老人ホームと言うところは、実にたくさんの人が集まります。
利用者の中には気の強く怒りっぽい性格の方も居て、他の利用者に対して『あんた何やってんのよー!聞こえてんの!?ねえ!』と酷くご立腹な様子。
すぐさま職員が仲裁に入ろうとすると、いつも穏やかな笑顔のOさんがスッと立ち上がり、『ちょっと、そういう言い方は…』と柔らかな物腰で仲裁に入ろうとされました。
その時、私は
『ああ、この人は自分の正義感をしっかりと持っていて、弱い者が虐げられてると思ったら相手が怖い人であっても立ち向かっていく人なんだ』
そう思いました。

そんなOさんを悪性リンパ腫が襲います。
徐々に歩くことも、立ち上がることも困難になり、多量の下血や突然の意識消失、発熱、体動時の痛みも現れました。

入院先で医師とご家族の今後の方針についてのお話の際、『大好きなお母さんにはいつまでも生きていて欲しい、けれど積極的な治療はお母さんを長く苦しませるだけなのではないか。』と、とても大きな葛藤があったそうですが、
Oさんは『やまびこ荘に帰る』と選びます。そして娘様姉妹は〝やまびこ荘で母を看取ろう〟と思ったそうです。

やまびこ荘では看取り対応となったOさんの為に個室を用意し、面会や、終末が近付いた時にはご家族が宿泊できるように手配しました。

室内には毎日定時に素敵な音楽を流し、
ご家族にお持ちいただいた沢山の大きな写真をガーランドのように細工し、ベッド脇の壁に飾り付けると、Oさんはよく布団の中から眺めておられました。

『わぁ、この家族写真素敵ですね』
『娘さん2人共お母さんに似て美人ですね』
『お父さんは良い顔してビールを飲みますね』
『このお嬢ちゃんは甘えん坊そうですね』

など写真について沢山話しかけると、嬉しそうに、少し恥ずかしそうに照れ笑いをするOさん。

しかし病状は2ヶ月程かけて進行し、次第に食事も食べることも出来なくなり、強い痛みからベッドから離れられる回数も少なくなり、身体は徐々に衰弱、摂取量・排尿量からも脱水は明らかでした。

そして、8月20日。最期の日。

お昼過ぎから呼吸状態や反応が急変し、長女様に『今夜かもしれません。』
そうお伝えすると沢山の身内の方がOさんの身を案じ面会に来て下さいました。
コロナ禍でもあるため、思う存分どうぞ、とは言えず心苦しくもありましたが、最期にお会い出来たので悔いは残らないのではないでしょうか。

私たち介護職員は家族ではないので、出来ることは決まっています。
持っている全ての知識と技術を使う事です。

浅く少し速い口呼吸を繰り返すOさん、口腔内は乾燥しやすく、乾燥した口腔内粘膜は傷つきやすいため、ポカリなど経口補水液をスポンジブラシに浸し、程よく水気を切り、口腔内を潤わせる。

喉の奥に見える痰や唾液を取り除く。
※この時吸引を行うと急激に体力を消耗してしまう事もあるため、よく見極める必要があった

訪室するたび細かく状況観察をし、記録、
丁寧にご家族への説明を繰り返しました。

20時45分
部屋にはOさんと娘様お2人、お孫様お2人。
娘様方から呼ばれ訪室すると、
呼吸は先程とは違い、浅く遅い。
睫毛反射(※1)もなく、意識は混濁。

徐々に、徐々に呼吸が弱まっていく。

片手ずつお孫さん達に握られ、
お顔の両側に娘様1人ずつ寄り添い、
皆で泣きながら呼び掛ける。

『おかあさん!』
『おばあちゃん!』
『Oさん!』
『皆そばに居るよ!』
『寂しくないね!』
『怖くないよ、大丈夫だからね!』
……
21時01分
『おかあさん、ありがとう。』
次女様がそっと頬に口づけをする。

Oさんは、大きく最期の一呼吸をして、
自らそっと目を閉じました。
それも生前と変わらぬ穏やかな笑顔で。
本当に眠るように。
一連の景色全てが愛に満たされ尊かった。

ドクターへ連絡し、死亡確認をして頂いた後。

Oさんは夜中のうちにご自宅へ帰ることになりました。
長女様は環境を整えるため先にお孫様達とご帰宅。

私と夜勤者とでOさんにエンゼルケア(※2)を施すところでしたが、次女様のご希望もあり、3人で行いました。

娘としてしてあげられる最後の孝行。
介護職員としてさせていただける最後の仕事。

素敵な浴衣を選んで頂き、お身体を綺麗にして着替え、メイクを施します。お着替えの際、背中を見た時に
『そうだ。おかあさん、ここにホクロがあったなぁ』
この言葉が何だか切なくも暖かかった。
その後、葬儀社が到着し白い布に包まれて、正面玄関よりご自宅へ帰宅されました。

暖かい部屋で、暖かい布団に包まれて、
大切な家族に囲まれて、職員からも大切にされ、
そこに居た誰もが泣き、眠るように亡くなる。

世の中にこれ以上幸せな死があるのだろうか。

『看取ると言うこと』
それは利用者が人生の最期をお迎えするにあたり身体的、精神的苦痛を緩和し、その人らしい尊厳ある静かな死を迎えること

悔いのないように、寂しくないように、
怖くないように、痛くないように。

それはとても繊細な対応の連続でしたが、
Oさんの看取り対応を通して
終末期とは、看取りとは、死とは

『ただ辛いだけのものではない』

そう感じました。
そして、この満たされた気持ちを忘れないために、後輩たちに伝えていくために、今回の体験を記事にしようと思い書きました。
長文読んで下さりありがとうございました。
投稿の許可を頂きましたO様ご家族に感謝致します。

※1
睫毛反射(しょうもうはんしゃ)
まつ毛に触れた際に、まぶたを閉じてまばたきをする反射である。 中枢神経障害および死亡時には消失する。

※2
エンゼルケア
死後に行う処置、保清、エンゼルメイクなどの全ての死後ケアのことで、逝去時ケアとも呼ばれる。

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